うちの集落では、毎年10月20日が秋祭りの日と決まっています。
ただ、今年の10月20日は「巳の日」で、この日は神事を忌み嫌うことから、今年だけ22日にずらしました。
また、お祭りの準備をする人を当人といい、集落の人達が持ち回りで受け持つのですが、今年は、うちを含め4件の家が当人でした。
僕らも、秋祭りに参加するのは3度目ですが、当人は初めてなので、色々聞きながらお手伝いしました。
秋祭りの前日の夜は、餅まきをします。
そんなわけで、今日は朝から餅まきの準備です。
かまどで餅を蒸かしたら、おっきな餅つき機で餅をつきます。
女性陣は、ついたお餅を丸めたり伸ばしたり、あんこを入れたりします。
その間、男性陣はお掃除
積もった、落ち葉を掃き集めて焚き火をしました。
お芋焼けばよかった。
集落の神社は白皇(しらおう)神社といい、小さいですが、関東のように祠だけというわけではなくて、みんなが集まれるお宮になっています。
この建物は、明治の初期に建てられたそうですが、その前、いつごろからこの神社があるのかはわからないそうです。
ただ、この神社の始まりについて、今日初めて衝撃の事実を知りました。
この神社のご神体は、この神社にはなく、川を挟んで、向かい側の田んぼの中にある小さな石の塚なんだそうです。
その事を説明する為に、少しバックグラウンドから話を始めます。
高知県でも四万十町、特に、旧窪川町は、昔から有数の米どころで、今でも仁井田米という名の旧窪川町のお米は、高知の中では有名です。
山一つ超えたところにある高岡神社(五社さん)の周辺の四万十川沿いからは、弥生時代の遺跡が出土しているので、その頃から、この地で米作りが始まっていたことがわかります。
その高岡神社の背後にある、神ノ川(ゴウノカワ)は、名前の示す通り、高岡神社と関連があったと推測され、ここも古くからの米どころであったと考えられます。
実際、安土桃山時代の文献には、すでに18haの田んぼが口神ノ川に存在していた事が記録されているそうです。
(そのあたりの事が書かれている、「口神ノ川小学校百年誌」)
これは、この地区を流れている神ノ川の恩恵が大きいと思われます。
神ノ川は、長さはそんなに長くないのですが、日照りが続いた時にも枯れることがなく、この水によって、田んぼが潤されていたからでしょう。
ただ、川の水を利用するには、どうしても灌漑設備が必要です。
当然のことながら、川の水面は陸より下にあるので、川の水を利用するには、組み上げるか、水面より下の高さの土地まで水を引いていかなければならないからですが、動力を必要としないので一般的には、水路で水をひいて使います。
この神ノ川にも、6本の水路があり、それぞれの水路が川の流域を潤し、田んぼを広げています。
毎年、春と夏には、この水路の掃除を行いますが、今は、コンクリートの水路になっていて、人数がそろえば、半日で終わる掃除なのですが、昔は、岩や土を掘ってつくった水路で、しかも、川に沿ってあるため、大水によって崩れたり埋まったり、それは維持管理が大変だったそうです。
特に、水の取水口には堰があり、今ではコンクリートで作られたものですが、その昔は、木で組まれたもので、大水の度に壊れたり、流されたりしていたそうです。
この白皇の堰も、その昔は木で作られていたそうですが、昔は、たびたびこの堰が壊されるので、大変困っていたそうです。
その堰の工事がうまくいかなくて困っていた時に、お遍路で回っていた「お白(しら)さん」という女性が人柱なってくれたところ、工事がうまくいったという事があり、そのお白さんを供養する為に作られたのが、田んぼの中にある小さな石の塚と、今の白皇(しらおう)神社なんだそうです。
お遍路さんには、「お接待」といって、お遍路さんをおもてなしする風習があるのですが、昔は、貧困な人や、病気で地区に居られない人が、「お接待」を受けながら生活していたと言うことがあったそうです。
(http://www.maenaem.com/henro/sp.htm参照)
このお白さんが、どんな理由でお遍路していたのかわかりませんが、もしかしたら、夫に先立たれて生活ができなくなったのかも知れませんし、思い皮膚病にかかってしまったのかもしれません。
人柱になったのも、そんな人生を悲観して、役に立とうと自ら言い出したのかもしれません。
当時の集落の人達が、お白さんの為に塚を残し、神社を建てたのも、どんな事情なのか聞いていません。
当時の事はわかりませんが、この話を聞いて、色んな事に思いを馳せました。
そんな、いわれのある神社ですが、今晩は餅投げです。
集落の人達も、一年のうちで、この日が一番楽しみという人もいるくらいなイベントです。
今までは、まかれた餅を拾う方だったのですが、今年は当人なので、初めて撒く方をしました。
これが撒くお餅です。
一部お菓子やスポンジが入っています。
他のイベントの餅投げなんかでも、なぜかスポンジが入っています。きっと当たっても痛くないからだと思います。
夜8時の開始なんですが、みんな7時頃から来て、時間になるまで、お酒を飲んで歓談しながら待ちますが、8時になると、みんな気合が入ります。
普通の餅投げは、外で、屋根の上や2階などから餅を投げるのですが、うちの集落では、夜におみやの中でやります。
人数に対して、十分に餅があるので、全然拾えないって事はありません。
投げてる最中、みんなの必死な姿が面白いのですが、なんせ撒いているので、写真は撮れませんでした。
その替り終わった後の写真
床中、餅とり粉だらけ。
みんなビニール袋にいっぱい餅を入れて嬉しそうです。
明日は、本祭です。
朝からしめ縄をないます。