街で見かけたチラシに自由民権記念館という所で、「日清戦争とメディア」という企画展をやっていると書かれていたので、行って来ました。

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学校の歴史の時間に、自由民権運動というのを習ったはずなのですが、中学でも高校でも近代史は駆け足で過ぎてしまうのと、そもそも、学校の歴史の授業はマトモに聞いていなかったので、全然内容を知りませんでした。

ただ、今回の企画展は、日本が中国と戦争をした時期に、メディアがどう取り上げていたのかという内容で、なんか3.11以降の今のメディアと似た状況に思えたので、興味が湧いたのです。

美味しいものは後に残すということで、常設展示から見たのですが、知らないことが沢山あって、とても興味深かったです。
そもそも、高知県というのが自由民権運動の草分け的存在だったのも知らなかったし、板垣退助が高知県の人だというのも忘れてたし、だいたい板垣退助という人がどんな人だったかも忘れてる始末でした。

館内の資料を大切にするために写真撮影禁止、という事だったのですが、資料についてる解説をフラッシュをたかずにこっそり撮りました。

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この資料は、明治憲法が発布される前、民権運動家が作成した憲法の草案なのですが、明治憲法よりも、ずっと近代的で今の憲法に近いものでした。
今の憲法は、アメリカの押し付けだと言い続ける総理大臣等がいますが、実際は明治維新直後、人権と平等をうたった憲法草案があり、それが今の憲法へとつながっているという事です。
なんか、ちょっと感動した。

常設展示では、明治6年頃から明治22年頃まで続いた自由民権運動について、わかりやすく解説していました。特に、自由民権運動が燃え上がってから、どのように火が消えていき、後に続く言論弾圧の時代になっていくのかは、とても興味深かったです。
この辺の説明は、自分にはよく出来ないので、ぜひみなさん、直接足を運んでください。

常設展の締めくくりは、下記の文章で結ばれていました
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それから、お目当ての企画展ですが、これも見応えのあるものでした。
最初の説明はこれ

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実にタイムリーな内容です。

当時の報道は、新聞(という名の雑誌)や錦絵で行われていたのですが、想像で書かれていたり、事実と異なるものが多かったようです。
ですが、当時の日本人はメディアの論調を受け入れ、沸き立ち、後へと続く太平洋戦争へと突入していったわけです。

企画展の最後は、下記のプレートで締めくくられていました。
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ちなみに、ここで紹介されていたメディアの論調が、ある総理大臣とか、ある元都知事の歴史観と同じだったのに驚きました。

黒い龍馬パスポートを持っていると入館料が無料なので、何度か行ってみたい場所です。